スタッフの自己紹介
名前:梅田 卓也 (うめだ たくや)
所属:「輸入車のお探し専門店」
カーネットプラザ ビッグラン
産地:大分
家族:嫁と子供
愛車:オデッセイ
【 現在までの略歴 】のアレ・コレ
僕は、小・中・高と地元(大分県)の学校を卒業し、広島工業大学に入学し、その後、呉服店に就職しました。
そこで自分ががんばっていると、2年とちょっとたったある日、突然の倒産…。それからビッグランへ入社しました。
と、まぁ簡単にいうとこんな流れなんですが、簡単すぎてギモンもあるかと思いますので、もう少し詳しく書きます。
僕は小さい頃から基本的にひとりがキライなヤツで、いつも誰かといる人で、小学校のときにいつも遊んでる友達が野球部に入るということから自分も入部。それから10年間(小・中・高)野球一筋・・とまではいかないが、本気で甲子園目指してがんばってきました。
それから、「県外に出たい、」という安易な理由から、広島工業大学に進学。学科は建設工学科でした。
そこでの4年間は、バイト、遊び、たまに勉強、といった感じでした。
それから就職をする際に、普通の流れなら建設業に進む流れだったのですが、自分は呉服業界へ。なぜかというと「人とかかわる、人と話をする仕事につきたい」という思いがあり、友達と合同起業説明会へ遊びがてら行ってみると、そこにその呉服屋さんがありまして、そこのポスターの言葉が「35歳で社長をめざせ」という言葉でした。それを見た瞬間に「ここ行こう!」って決めました。
そこに入社して、一週間がたった時、彼女に『子どもができた』、と言われました。びっくりしたのと、どーしたらいいかと不安なこともたくさんあったけど、それ以上に彼女のことが大好きで、うれしかったっていうのもあり「産もうや」って言いました。
そのころは益田(島根県)に配属で行ってたので、プチ遠距離だったけど、当時の社長のところへ生き、広島へ転勤させてくださいとお願に行き(彼女が五日市の人だったので)なんとかOKをもらい広島へ。それからは大竹で勤務(本当は五日市がよかったのに)。 よく考えたら、入社して一週間で社長にムリなお願いをして、なめた新入社員だと自分でも思います。
そんなこんなで、平成16年12月に長女を出産。このときの感動はやばいです、やばかったです。 この子の為ならなんでもできる!って本気で思いました。 それから仕事も一段とがんばり、もうすぐ店長か、というところで突然の倒産…本気でお先真っ暗とはこのことかと思いました。どーしていいかわからず、地元へ帰ろうかなど、いろいろ考えたけど、そのときに大学の友達と話をしていて、そいつの知り合いの車やさんが人探しよるよって聞いて、じゃ、そこ!って感じで面談を受けました。(もともと車は好きだったから)
そこの車屋の社長も、とてもよいひとで、うちの家計も考えてくれて、それならとビッグランを紹介してくれました。
そんなこんなで、今に至ります。
【 車との関わり 】のアレ・コレ
僕は、基本的にいろいろなこと、物、が好きなんですが、車がめちゃめちゃ好きになったのは、高校の時。
その頃好きだったドラゴンアッシュのPVで出たマスタングに一目ぼれし「いつかはこれに乗ってやる」と思い、それから車にハマりました。
小さい頃は車は苦手でした。なぜなら「酔う」から。 乗り物酔いというか、車とバスだけは絶対酔ってたので、はっきり言って乗るのはキライでした。(とくに父親の車は芳香剤のせいか、まじでムリでした)
でも、成長していくにつれて、乗り物酔いも自然となくなり、中学校の時はバイクにはまり、高校の時には車とどんどん好きになりました。 免許を取ったのは、高校の卒業と同時に。
免許をとって初めて乗った車は、ばーちゃんの軽トラ。軽トラの荷台に友達いっぱい乗せて走り回ってました。
運転するようになって、もっともっと車が好きになり、初めて買った車は20歳の時レガシィワゴン。
父親の知り合いの車屋さんにあったからという理由でそれにしました。金もなかったし、こだわるよりもとにかく車に乗りたいということで、「車安いのない?」「ワゴンで」ってTELして「あるよ、レガシィが」「じゃそれ」って感じでした。でも、大好きな車でした。
嫁さんに子どもができたとき、お金もなく、泣く泣く手放し、それからは嫁さんのワゴンRで日々通勤、1年ちょっとはがまんしてたけど、我慢の限界。自分の車を買うときめました。
そのとき欲しかったのが、サーフ、アストロ、オデッセイでした。で、知り合いの車屋さんに相談して今の車を購入しました。
このときも「いいのがあったよ」って写メ見せてもらって「お〜、いいじゃん、じゃこれ!」って感じできめました。
もっといろいろこだわりゃいいのに…とあとでちょっと後悔しましたが、それ以上にうれしく(乗ることが)今では愛車です。
でもいつかはマスタングに…と心に決めてます。
とこんな感じです。
まだまだ書きたい、しゃべりたいんですが、話がそれて仕方がなくなると思いますので、この次で…
ただ、梅田卓也は、人が好きで、人とかかわっていくことが大好きで、人が人とのつながりが一番大切なことだと思い生きている人間です。
©Copyright 2006 BIG-RUN Co.,Ltd. All rights reserved.
名前:梅田 卓也 (うめだ たくや)
所属:「輸入車のお探し専門店」
カーネットプラザ ビッグラン
産地:大分
家族:嫁と子供
愛車:オデッセイ
【 現在までの略歴 】のアレ・コレ
僕は、小・中・高と地元(大分県)の学校を卒業し、広島工業大学に入学し、その後、呉服店に就職しました。
そこで自分ががんばっていると、2年とちょっとたったある日、突然の倒産…。それからビッグランへ入社しました。
と、まぁ簡単にいうとこんな流れなんですが、簡単すぎてギモンもあるかと思いますので、もう少し詳しく書きます。
僕は小さい頃から基本的にひとりがキライなヤツで、いつも誰かといる人で、小学校のときにいつも遊んでる友達が野球部に入るということから自分も入部。それから10年間(小・中・高)野球一筋・・とまではいかないが、本気で甲子園目指してがんばってきました。
それから、「県外に出たい、」という安易な理由から、広島工業大学に進学。学科は建設工学科でした。
そこでの4年間は、バイト、遊び、たまに勉強、といった感じでした。
それから就職をする際に、普通の流れなら建設業に進む流れだったのですが、自分は呉服業界へ。なぜかというと「人とかかわる、人と話をする仕事につきたい」という思いがあり、友達と合同起業説明会へ遊びがてら行ってみると、そこにその呉服屋さんがありまして、そこのポスターの言葉が「35歳で社長をめざせ」という言葉でした。それを見た瞬間に「ここ行こう!」って決めました。
そこに入社して、一週間がたった時、彼女に『子どもができた』、と言われました。びっくりしたのと、どーしたらいいかと不安なこともたくさんあったけど、それ以上に彼女のことが大好きで、うれしかったっていうのもあり「産もうや」って言いました。
そのころは益田(島根県)に配属で行ってたので、プチ遠距離だったけど、当時の社長のところへ生き、広島へ転勤させてくださいとお願に行き(彼女が五日市の人だったので)なんとかOKをもらい広島へ。それからは大竹で勤務(本当は五日市がよかったのに)。 よく考えたら、入社して一週間で社長にムリなお願いをして、なめた新入社員だと自分でも思います。
そんなこんなで、平成16年12月に長女を出産。このときの感動はやばいです、やばかったです。 この子の為ならなんでもできる!って本気で思いました。 それから仕事も一段とがんばり、もうすぐ店長か、というところで突然の倒産…本気でお先真っ暗とはこのことかと思いました。どーしていいかわからず、地元へ帰ろうかなど、いろいろ考えたけど、そのときに大学の友達と話をしていて、そいつの知り合いの車やさんが人探しよるよって聞いて、じゃ、そこ!って感じで面談を受けました。(もともと車は好きだったから)
そこの車屋の社長も、とてもよいひとで、うちの家計も考えてくれて、それならとビッグランを紹介してくれました。
そんなこんなで、今に至ります。
【 車との関わり 】のアレ・コレ
僕は、基本的にいろいろなこと、物、が好きなんですが、車がめちゃめちゃ好きになったのは、高校の時。
その頃好きだったドラゴンアッシュのPVで出たマスタングに一目ぼれし「いつかはこれに乗ってやる」と思い、それから車にハマりました。
小さい頃は車は苦手でした。なぜなら「酔う」から。 乗り物酔いというか、車とバスだけは絶対酔ってたので、はっきり言って乗るのはキライでした。(とくに父親の車は芳香剤のせいか、まじでムリでした)
でも、成長していくにつれて、乗り物酔いも自然となくなり、中学校の時はバイクにはまり、高校の時には車とどんどん好きになりました。 免許を取ったのは、高校の卒業と同時に。
免許をとって初めて乗った車は、ばーちゃんの軽トラ。軽トラの荷台に友達いっぱい乗せて走り回ってました。
運転するようになって、もっともっと車が好きになり、初めて買った車は20歳の時レガシィワゴン。
父親の知り合いの車屋さんにあったからという理由でそれにしました。金もなかったし、こだわるよりもとにかく車に乗りたいということで、「車安いのない?」「ワゴンで」ってTELして「あるよ、レガシィが」「じゃそれ」って感じでした。でも、大好きな車でした。
嫁さんに子どもができたとき、お金もなく、泣く泣く手放し、それからは嫁さんのワゴンRで日々通勤、1年ちょっとはがまんしてたけど、我慢の限界。自分の車を買うときめました。
そのとき欲しかったのが、サーフ、アストロ、オデッセイでした。で、知り合いの車屋さんに相談して今の車を購入しました。
このときも「いいのがあったよ」って写メ見せてもらって「お〜、いいじゃん、じゃこれ!」って感じできめました。
もっといろいろこだわりゃいいのに…とあとでちょっと後悔しましたが、それ以上にうれしく(乗ることが)今では愛車です。
でもいつかはマスタングに…と心に決めてます。
とこんな感じです。
まだまだ書きたい、しゃべりたいんですが、話がそれて仕方がなくなると思いますので、この次で…
ただ、梅田卓也は、人が好きで、人とかかわっていくことが大好きで、人が人とのつながりが一番大切なことだと思い生きている人間です。